LOGINそしてタイミングのよいことに今日さっそく体育の時間がある。
急遽瑞穂先生が用意してくれていた教室を使用してひとりぼっちで着替えをすることになった。
3階の隅の普段物置になっている使われていない空き教室。
着替えが終わるとなぜかクラスメートの男子が迎えに来てくれていた。2階にある2年生の教室を使って着替えているクラスメートが本来ここにいるはずはないのだけど。
さすがに鈍いわたしでもここまで露骨に周囲をうろつかれるとなんとなく真意を察してしまう。
たかだか体操服だっていうのに男っていう生き物はまったく。……まさか覗こうとしてないよね……?いくらわたしの容姿がこんなんでもさすがにそこまで血迷わないでほしい。
気を確かに持ってくれよ、男子生徒諸君。
今日の授業内容は体育館でバレーボールらしい。
野球やバスケはアメリカでもやっていたけど、バレーボールはアメリカの授業ではやらなかったので人生初体験。
ルールも良く分かってないけど相手がサーブしてきたボールを3タッチ以内に相手コートへ打ち返さないといけないということだけは知っている。
「わたしバレーボールやるのはじめて!上手くできるかわかんないけど楽しみだなぁ」
わたしがそう言うとバレー部の田村君がはりきって基礎から教えてくれた。サーブのやり方からレシーブ、トス、アタックまで基本的なことをコーチしてくれたので後は授業の中で覚えていけるだろう。
やけに熱心で文字通り手取り足取り教えてくれた。
のはいいんだけど、その後他の男子から殴る蹴るの暴行を受けていたのは大丈夫なのかな?本人はそれでも満足げな顔をしてるから平気か。
まずは基礎的な練習を少しやった後、いくつかのチームに分かれて対抗戦をやることになった。
わたしが初心者だからという理由で田村君がわたしと同じチームに入ってくれることになったけど、また他の生徒から蹴られてる。いじめじゃないよね?
いよいよわたしたちのチームが試合をする番に。最初は勝手がわからないので他の人たちのプレーを見て学んでいたんだけど、すぐにわたしがサーブをする番が回ってきてしまった。サーブをするのも順番なんだね。
位置についてボールを上に放り投げる。
力加減を間違えて高く上げすぎてしまったので落ちてくるまで時間がかかってしまう。
待つのめんどくさいな。
そういえばサーブは体のバネを使って打ち込むと威力が出るって田村君が言っていたな。どうせなら全身のバネを使った方がいいやと、思い切ってジャンプ。
体全体を大きく反らせて、落ちてくるボールに合わせて水面を叩くエビをイメージしながら体を弾けさせ、思いっきり相手コートに向けてたたきつけた。
思ったより威力が出て、相手チームの誰も反応ができずサービスエースって言うやつで得点ゲット。やった!
わたし史上初得点!チームに貢献することもできたし、得点したことを他のチームメイトももっと喜んでくれるだろうと思っていたらなんだかみんな相手チームの人も含めてぽかんとしている。
田村君が一番驚いた顔をしていて「ジャンプサーブ……しかもあの威力……」って言いながら呆然。あれ、ちょっとやりすぎちゃったかなぁ……。
同じチームの澤北君が呆れ顔で近づいてきて「本当にバレーやったことないの?」って聞いてきたので正真正銘今日が初めてって答えた。
「マジかよ。運動神経には俺も自信あるけど初プレイであんな強烈なジャンプサーブとか無理だわ」と苦笑しているので、どうも少し張り切りすぎたみたい。
自分の運動神経が規格外なのは自覚してるからあまり目立ちすぎないようにしようと思っていたんだけど、どうもそのへんの加減が難しい。
「アハハ、わたしも運動神経には自信あるし、武道のおかげで動体視力がけっこういいからそれでうまくいったんじゃないかな」って笑って誤魔化したけど、周囲に目を向けると体育館の隣半分で授業していた3年生の女子の方々もこっちを見て大騒ぎしてた。
あ、あか姉もいたんだ。なんか無表情でこっちをジッと見てるから手を振っておいた。あれはどんな感情なんだろう。さすがのわたしもわかんない。
その後も試合は続き、運動神経についてはどうせすぐバレるだろうからと全力でバレーを楽しむことにした。
相手チームからのボールをバンバン拾って守備にも貢献、攻撃時にはジャンプ力を活かして高い位置からの強烈なアタックで拾える人はほぼいない。3試合して攻守ともに大活躍で全戦全勝へと導きMVPはわたしという結果に。
隣の3年生女子は熱烈な声援を送ってくれていたけど、先輩方、授業は?
「さすが」ゆきの運動神経は知っていたけど初めてやるスポーツでも遺憾なく発揮されるものなんだな。
授業が始まる前から同じ体育館内にゆきを発見したからずっと目で追っていたけど、あのジャンプサーブには目だけじゃなく心も奪われた。
あの抜群の容姿だけでも十分だが、それに加えてダンスで鍛えたバネをいかんなく発揮してのしなやかな動きはまるですばやく振り下ろされた鞭のように美しく、両方合わさればまさに芸術的。
それはひいき目なんかじゃなく文句なしにキレイで、見惚れる以外に選択肢がない。
やっぱりうちの弟は何をやらせてもそつがなくかっこいい。しかもその後わたしの方を見て手を振ってくれたので心臓が止まるかと思った。
キュン死寸前で悶えていると友人が「茜ー!弟のゆきちゃん、バレーめちゃくちゃ上手くない?ずっとやってたの?」と聞いてきたので一度もやったことのない初心者だと答えたら案の定驚愕の表情をしていた。
うちの弟は何をとっても普通じゃないのだよ。
ゆきのすごさはこれから体育の時間が重なれば自然と周知されていくだろうけど、今日初めて見た人が抱くであろう信じられないという気持ちはよくわかる。
普通どんなスポーツでも初心者ってのはもっとたどたどしくて、時には無様な姿を見せたりもするもんだろう。
それを超中学級エースかのような活躍をみせるのだからはっきり言って化け物だ。
もしなんらかのスポーツに打ち込めば、きっととてつもなく優秀な成績を残すだろうことは間違いないと思うが、本人は遊びとしてやるスポーツには興味があっても本気で打ち込んでやるのは歌とダンスしかない。
少しもったいないなと思う面もあるがダンスをしている時の生き生きとした姿と、なによりあの歌声を聴けば今の道が最善なんだと納得させられてしまう。
それくらいゆきの歌声は圧倒的。
本当に天はゆきに対して何物ほど与えたんだろうというほどにたくさんの才能に恵まれているがやっぱり歌い踊っている時のゆきが一番輝いている。
本当の魅力はそんな外見的なものだけではないんだけど。
しかしそれが一番わかりやすい魅力でもあるので、周りの女子たちもゆきの活躍を見ては黄色い声援を上げて騒いでいる。
彼女たちはただ単に運動神経の良さに賞賛をおくっているのか、男性としてかっこいい姿のゆきを見て騒いでいるのかどちらなのだろうと考えるとモヤモヤしてきた。
ゆきのことは誰にも渡さないよ。
そんなことばかり考えていたので授業で何をやっているのかなど頭からすっぽり抜け落ちて授業中ずっとゆきのことを凝視してしまっていた。
転校して最初の体育はマラソンだったので特に問題はなかったけど、2回目のバレーボールの授業で常人離れした運動神経がバレてしまった結果、お昼休みにスポーツをしようと誘われることが多くなり、結果として以前より男子生徒との距離が縮まった。
以前より気さくに話しかけてくるようになり、普通の休み時間に男同士で会話することも比較的多くなった。
それでも女の子の行動力の方がすごくて気が付けば女子の輪の中に引きずり込まれていることの方が多い。
バレーの授業をきっかけに変わったことと言えばもうひとつあって、わたしのクラスの体育の授業にギャラリーが現れるようになったことだ。
もちろん授業中なので先生に見つかれば即座に追い払われてしまうのだが、隠れてみていたり、たまたま同じ時間体育に当たったクラスの人たちがわたしの活躍を見学するようになってしまい、そのクラスの授業が円滑に進まなくなってしまったのだ。
その現象がエスカレートしていっているのも、これまたわたしのせい。もともと運動が好きでどんな内容の授業でもついはりきってしまうからだ。
サッカーでは派手なジャンピングボレーシュートで得点したり、マット運動ではバク転バク宙側宙なんかお手の物で体操選手も顔負け。だってダンスでもやるんだもん。
野球ではこれまた人並外れた動体視力で相手チームになった生徒から絶望の声が漏れるほど全打席ヒットかホームラン、守備では武道で鍛えた反射神経を活かしてファインプレーの連続。
体育の時間があるたびにそんな花形選手みたいな活躍ばかりしていれば注目もされるというもので、諸悪の根源はわたしで間違いない。
わたしは部活に入っていないので、そうやってスポーツをしている場面を見れるのは体育の時間しかないから見たい人は隠れて見るしかないので、わたしにはどうしようもないこととはいえやはり授業妨害をしているようで罪悪感がある。
それを木野村君や田村君に相談したところ、たまに部活の助っ人として練習に参加すれば授業中にリスクを冒す生徒も減るんじゃないかという話になった。
見つかったら大目玉だもんね。
それでいくつかの運動部のキャプテンへ会いに行って交渉したところ、どこも快くどころか積極的に受け入れてくれた。
私生活が忙しくて正式に入部できないことと晩御飯を作る必要があるから1時間程度しか参加できないことを詫びてもみなさん嫌な顔ひとつすることなく理解を示してくれて、逆に無理をせず私生活の方を大切にしてくださいと気を遣ってくれるほど。
その優しさには思わず感激してしまった。
ともあれ、わたしがスポーツで活躍する場面を放課後にどこかで見られるという話は各部活を通して広まり、授業中にさぼる生徒はほとんどいなくなった。
ただ同じ体育館やグラウンドで別クラスとかぶったとき、こちらばかり見てるのは防ぎようがなかったけれど。
一度「こっちばっかり見てないでちゃんと授業に集中しないとだめですよー!」って注意したら「キャーこっち見てくれたー!」と逆効果になってしまったのでわたしは何もしない方がいいという結論になった。
あと瑞穂先生の情報によると学年をまたいだ合同体育を実施してほしいという請願が生徒会や職員室に頻繁に届くようになったらしい。
表向きには学年間の交流になるという名目を掲げていたらしいけど、2-4ばかりわたしを独占しているのはズルいという本音が見え隠れしていたと苦笑していた。
こうして毎日ではないけれど部活に助っ人で行くようになって夕方の時間が前より減ってしまったけど、部活をしてる分ジョギングをしなくてもよくなったのでその分夜の時間を確保できることになった。
Vtuber活動は夜にやるのでその時間が増えたのは純粋にありがたい。
部活の方も好評でどこの部に行っても重宝されるようになり、時には取り合いに発展しそうなこともあった。わたしが原因で揉め事になるのは真っ平だったので毎週金曜日に翌週のスケジュールを決めてしまうことにした。
すると副産物というか、学校の生徒間で使われているネット掲示板にそのスケジュールが公表され、ギャラリーの人たちが以前より増えることになってしまった。
またその結果これはいい影響だと思うんだけど、ギャラリーがいることで部員が異性にいいところを見せようと以前より熱心に練習をするようになり、結果的に公式戦の成績が上がったということだろう。
嬉しい誤算ってやつだけど人ってほんと単純だな。そういうわたしだって男だし、異性にいいかっこしたいと思う気持ちは分かるけど露骨すぎやしませんか、みなさん。
リスナーさんの前で復帰祝いの唄を披露し、失敗してしまったあの日から一年以上の月日が過ぎて、わたしは二十二歳になった。 そして今、わたしはある一室にいる。 「わたしはもっとみんなの近くで唄いたい!」 そう宣言してから半年以上、わたしはリハビリとボイトレに励み、そして自分の声を完全に取り戻した。いや超えた。 かつての音域からさらに半オクターブ、広げることができたのだ。 そしてわたしはボイトレに励みながら、ある計画を実現させるためにかつての自分の考えを覆す決断をしていた。「それではその時は全面的にプロデュースをお願いするということで。利益の取り分は書面通りで構いません。よろしくお願いします」 かつて大阪で琴音ちゃんを通じて知り合った女性プロデューサー、五代さんに向かって頭を下げる。「こちらとしてはどんな条件であれ、ゆきさんに来てもらえるなら大歓迎です。でも一体どういった理由で心変わりを?」 芸能界という世界を毛嫌いし、関連するようなところとは極力距離をおいてきたわたしが突然こんなことを言いだしたのだから、疑問に思うのも当然だろう。「確固たる目的のためです。わたしが以前、脳の障害で一年以上昏睡状態にあったのはご存知ですよね?」 黙って頷く五代さん。 ネットどころかオールドメディアでもニュースになったような出来事だから知っているのは当然だろう。いや、その仕事からしてたとえニュースにはなっていなくとも、彼女ならそのネットワークで情報を得ていただろうと思う。「元々わたしは幼いころから脳の障害を抱え、余命も宣告されていたことから生きることに対して諦めの気持ちがありました。だけどそれを変えてくれた人たちがいた」「お姉さん達ですね」 意外な人から突然核心をつかれてしまったことに驚き、わたしは目を見開いた。どうしてこの人がそのことを? わたしの疑問が顔に出ていたのか、五代さんはふっと笑うと以前は見せることのなかった柔和な表情を浮かべた。「ゆきさん、わたしは何も企業利益だけを考えてあなたに声をかけたわけじゃありませんよ。わたし
「みんなただいま!」 ようやく帰宅許可が下り、無事退院となったその日。 我が家では家族全員が休みを取って快気祝いのパーティーを準備してくれていた。「「「「おかえり!」」」」 声を聞くだけで分かる、心から待ちわびていた祝いの言葉。 お母さんから始まって、家族全員とハグをした。この辺はアメリカ生活をしていた名残なのかな。 お父さんは少し恥ずかしそうにしてたけど。息子相手なのになぁ。「それで、もう日常生活に支障はないのか?」 より姉が気づかわしげな視線で尋ねてきたので、わたしは元気をアピールするために腕をぐるぐる回してみせた。「この通り、すっかり元気だよ! まだ激しい運動は止められているけど、軽い筋トレくらいなら大丈夫。日常生活の筋力を取り戻すためにも家事は積極的にやってくださいだって。だから明日からはまたわたしがご飯を作るからね!」「……!」 みんな声にならないほどの衝撃を受けている。え、わたしがご飯を作るのってマズイ?「ま、またゆきのご飯が食べられる……」 両手で口を押さえたお母さんが感涙にむせぶ。えぇ、そんなに!? かの姉とあか姉は無言で両手を天高く突き上げている。一片の悔いなし? そしてより姉とひよりに両サイドから抱き着かれてしまった。「一年半ぶりのゆきちゃんの手料理! もう今からお腹が空いてきたよ!」 明日まで待ってたら餓死しそうだね。「いかん、よだれがとまらん」 本当によだれを垂らしてしまうより姉。乙女のする顔じゃないぞ。 でもこんなに待ち焦がれてくれていたとなれば腕が鳴るというもの。明日は目いっぱいご馳走を作ろう。「でも思ったよりも早く退院できましたね」 ようやく気分の落ち着いたかの姉がオードブルの並んだ食卓につきながら、感心したように言って来た。「そうだね。若さもあるけど、それ以上に頑張ったしね」 最初は半年の予定でリハビリプログラムを組
立てるようになってからのリハビリは、想像していた以上に大変だった。 平行棒、杖、歩行器を用いて転倒防止に注意しながら、重心移動や筋力向上、正しい歩行様式を取り戻していくのは一朝一夕にできるようなものではなく、なかなか思うように動いてくれない体に苛立ちを覚えつつも地道に筋力を蓄えていく作業。 下手に頑張りすぎると逆効果になると分かってはいるけど、一日も早い復帰を願う気持ちはなかなか抑えられるものでなく、遅々として進まないリハビリプログラムにヤキモキしていた。「さすが若いだけあって回復が早いですね」 歩行訓練後のマッサージをしてくれながら、理学療法士の飯島さんがそう言ってくれる。「自分では回復が遅く感じてしまい、どうしても焦ってしまうんですけどね」 どうしても頭をもたげてしまう焦りの心。 愚痴をこぼしたところでどうにもならないとは分かっているけど、ずっと優しく指導をしてくれる飯島さんにはつい甘えてしまう。「早くおうちに帰りたいですもんね。でもね、わたしもあなたのファンだから言うけれど、待っている側からすれば焦って戻ってきて取り返しのつかない後遺症が残るくらいなら、何年でも待つから万全な状態で戻ってきてほしいと願うものですよ」 優しい手つきでふくらはぎを揉み解しながら、それ以上に優しい笑顔を見せてくれる飯島さん。 リハビリが始まった当初からわたしのファンを公言していて、担当が決まった時には飛び上がって喜んだそうだ。 そんな熱心なファンをしてくれている彼女の言葉だから信じたいけれど、どうしても不安な気持ちは拭えない。「飯島さんはそうかもしれませんけど……」 八つ当たりにも似た発言だけど、飯島さんは気分を害した気配すらなく、穏やかに話を続けた。「不安になるのも分かりますけどね。ファンを信じるのもアーティストとしての務めじゃありませんか?」 ただの弱気の吐露にも関わらず、温かい表情で返ってきたその言葉に、わたしの中の何かが動いた。 今まで明確に意識したことはなかったけれど、わたしもアーティストの端くれな
リハビリをやり始めてから比較的すぐに自力で立ち上がれるようになった。 だけど、そこからが過酷な日々の始まり。 最初は一歩二歩と歩くだけで滝のような汗をかき、心拍数も爆上がりしてしまったのでその時点でリハビリ中止。 その後も数日間はトライしては中止の繰り返しで一向に進まない。 そこで体力の回復が先決だと判断した先生の指示により、立って歩くよりも先に長時間座ることから始めることにした。 ただ座るだけと思って侮っていたけれど、すっかり体力の衰えてしまった体にはこれが存外キツイ。 スマホを触って気を紛らわせているとはいえ、最初は二時間程度で音を上げてしまった。 だけどそれも繰り返すうちにだんだん苦ではなくなっていき、半日座っていられるようになった頃にはかなり体力も回復していたようだ。 その後に始まった歩行訓練でも最初のように滝の汗をかくことはなくなり、ようやく日常生活に向けての第一歩が始まった。「今日はね、リハビリ室の端から端まで歩けたんだよ」 嬉しそうに報告するわたし。「ふーん」 なんだか気のなさそうな返事をするより姉。「あれ? なんか怒ってる? わたしのリハビリが進んでるのが嬉しくない?」「いや、そんなわけないんだけどな。ゆきがどんどん元気になっていってるのはそりゃ嬉しいさ。でもな」 なんだろう。リハビリとは関係なさそうだし、他に何か怒らせるようなことしたっけ?「ゆき、何か報告しておかないといけないことを忘れてないか?」 報告? ずっと病院にいるわたしがリハビリのこと以外で何を報告することがあると言うんだろう?「何のこと?」 本当にわからない。わたしがより姉を怒らせるようなことなんて皆目見当もつかないよ。「茜とのことだ」「ひうっ!」 突然あの日のことを突きつけられて、ビックリすると同時に思い出してしまったので変な声が出た。「なんだその奇声は。茜が自慢気に話してたのは本当だったのか……。てっきりあいつの作り話だと思ってたのに」 カマかけられた! でも本当のことだから嘘をつくのもなぁ。「それで、だ。ゆき」 改めてわたしの方へと向き直るより姉。対して被告人よろしく姿勢を正すわたし。「正妻の立場としてはだな。茜がしてもらった以上は同じことをしてもらう権利があると思うんだが」 いや、あれはわたしの方からやったわけじゃな
「みなさん、こんにちは。どうもご無沙汰してました。雪の精霊、YUKIが今日もみんなに幸せを届けるよ! とまぁかつてのテンプレ挨拶をぶちかましたわけですが。みなさん、本当に長い間お待たせしました! ゆきはこの通り見事復活を果たして今ではピンピンしていますよ。 眠りこけていたおかげですっかり体がなまってしまったので、しばらくリハビリが必要なんですけど、またみんなに歌声を届けられる日が来るのも近いです」 ひよりに撮影許可とノートパソコンを頼んだ次の日、今日の当番だったあか姉が許可を取れた情報と共に届けてくれた。 そのパソコンを使ってさっそく配信予約を取り、夕食後の十九時に配信を開始した。 配信の告知をしたのは昨日なのに、みんな余程待ちかねてくれていたのか同接は60万人オーバー。 倒れる前の50万人を大きく上回る結果となった。「たくさんの人が見に来てくれて、それだけわたしの歌声がみんなに求められているんだと思うと感無量です。変わらぬ応援にとても感謝しています」 あまりのありがたさに思わず涙ぐんでしまう。だって一年以上ものブランクがあって、それでもこれだけの人が集まってくれるのが嬉しくて、ありがたくて。【歌ももちろんだけど、ゆきちゃんの顔が見たかった】【元気そうで安心した】【ゆきちゃんの姿を見たら涙が出てきた】【ほんと、おかえりなさい!】 歌だけじゃなく、わたし自身をも待ってくれていたというコメントに、とうとう涙が溢れてしまった。 あーあ、本当にわたし涙もろくなったよなぁ。男のくせにみっともないとは思うけど、止められないものはしょうがない。「みんな本当にありがとうね。一日も早くみんなの前で唄って踊れるよう、毎日リハビリ頑張ってるんだ! だからほら、一週間でもう立てるようになったんだよ」 そう言ってノートパソコンをテーブルの上に置き、立ち上がろうとするわたし。 まだ安定性には欠けるけど、どうにか自分の足で立ち上がることが出来た。隣であか姉がハラハラしたような顔で見てるけど。【あんまり無理はしないで】【ワイらはいつまでも待ってるから】【生まれたての小鹿みたいになってるやん】【怪我する前に座って!】 うちの姉妹だけでなく、リスナーさん達もわたしには過保護だな。「これくらい大丈夫だって。なんならターンしてみようか?」 調子に乗ってターンをしよう
日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。 まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。 それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。 これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。「えへへ。密着出来て幸せぇ」 一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。 一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。 でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。 わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。 病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」 他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ? むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。 だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。 そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。 以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。 目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。 例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。 普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。 部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。「なぁに、また外を見てるの?」 今日はひよりの番なのか。「うん、今日も外の景色がキレイだからね」「やっと見えるようになっ
「着いたぁ!」 電車に揺られること40分。わたし達5人は最寄りの海水浴場に到着した。 より姉が自動車免許を去年取ったので、レンタカーを借りようかと言う話も出たんだけど海で泳いだ後は絶対眠くなるとわたしが猛反対して結局電車で来ることにした。 より姉だけに負担をかけるのは嫌だし、帰りの運転を気にして楽しめなかったらもっと嫌だからね。 ただ、電車で着たことによって解決できなくなってしまった問題がひとつだけある。 わたしがどこで着替えをするか、ということだ。 わたしが普通に男子更衣室に入っていくと騒ぎ
雪乃さんとのコラボも神回認定で終わり、この企画のお相手はレイラさんを残すのみとなった。 紡さんの時と同じく雪乃さんとのお別れにも寂しさはあるけど、いつまでもそれに浸っているわけにもいかない。 せっかく応募してくれて、その中から選ばれた3人だ。 その全員に同じ熱量で向き合うのが当たり前だし、誰に対しても平等に接するのがわたしの矜持でもある。 そう思い自室のベッドに腰掛け、レイラさんのチャンネルを開き内容を確認する。 歌の内容はわたしと同じスタイルでオリジナルと歌ってみた、そして生配信といったコンテンツが並んで
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直接募集するのは次のライブ配信の時でいいとして、まずはSNSで募集をかけないと。「えっとなんて書けばいいんだろ?タイトルはコラボ相手募集中でいいか」 ワクワクした気持ちを抑えながらSNSに投稿する文の内容を考える。 きらりさんがわたしにしてくれたように、誰かとコラボすることでその人の飛躍のきっかけにでもなれればそんなに嬉しいことはない。 それこそみんなを幸せにする雪の精霊にとっては面目躍如ってもの。 まずは最初は当然のことだが歌ってみたでもオリジナルでもいいので、歌をメインとしたコンテンツであることが最低条